2021 年6 月19日(土)にポートメッセなごやで開催された『SPORTEC CUP 2021』新設カテゴリー「マスキュラーフィジーク」で優勝した福原俊介選手のこれまでの軌跡と、これからを聞いた。
取材・文:IM 編集部 撮影:中島康介
小学生とき、かけっこはいつもビリで運動は全くダメでした。しかし、筋トレに出会って身体付きが変わり、大学では、筋トレができるという理由でアメフト部に入りました。フィジカル面が強かった自分は、大学4年生には主力選手で副キャプテンを務める立場にいました。
アメフトの補強のため、市営ジムでトレーニングをしていたときに、人生で初めてボディビルダーの大きな身体をみて衝撃を受けました。このときはまだボディビル競技をやろうと思っていませんでしたが、大学3年生から4年生に上がるときに体調を崩して、入院。それがきっかけで、体重が85㎏から71㎏まで落ちてしまいました。大学最後の年に部を牽引する立場の自分が不甲斐ない結果を出すわけにはいかないと、筋肉を取り戻すためにジムに通いはじめました。そこで週5日トレーニングをしているうちに、身体づくりが楽しくなり、アメフトを引退後はボディビルをやろうと決めました。
大会に出場をするようになったのは2018年、社会人になってからです。脚が弱点部位だったこともあり、メンズフィジークにも出場していましたが、評価基準が自分の求めている身体ではないと感じていました。
競技をはじめたときから、目標とする身体はボディビルの身体だったこともあり、ボディビル競技4年目になる今年はメンズフィジークラストイヤーにしようと考えていました。
スポルテックカップのことは、JBBFのインスタグラムで知りエントリーしました。マスキュラーフィジークという競技は筋量がある自分に適性があると感じたため、選択しました。今回、中村(厚志)選手が本調子ではなかったとはいえ、マスキュラーフィジークが新設された最初の大会で優勝できたので、この競技を盛り上げるために、今後も出場していこうと考えています。
ただ、目指しているのはボディビルで日本選手権ファイナリストなので、マスキュラーフィジークで勝てる身体づくりを意識しようとは思っていません。あとは、SASUKEに出場したいです。運動が全然できなかった自分が1st ステージをクリアできたら、勇気を与えられるかなとか、ボディビルの筋肉がただの使えない筋肉ではないというのを証明したいです。