左上半身の主要な筋肉の麻痺というボディビルダーにとっては致命的な怪我を負ってから3年、現在も完治しているとは言えない状況にある谷野義弘。しかし彼は今年、復活後2年目にして、2000年以来となる日本選手権の優勝を果たす。この勝利には、筋肉の発達や仕上がりだけではない、ボディビルという競技のありとあらゆる面を研究し精進してきた、長年の彼の取り組みの成果が集約されており、今年の国内コンテスト・シーズンを締めくくるに相応しい感動を、見る者に与えた。
ただし、国際大会を含めた今シーズンの彼の戦いはまだ残っている。そう、4年毎に行われ、前回の釜山開催よりボディビルも参加しているアジアンゲームズだ。別名アジアオリンピックと呼ばれるこの大会は、国際オリンピック委員会の管理の下で、厳しいドーピングチェックを経る大会なだけに、日本選手の活躍が大いに期待できる大会である。
しかも谷野選手は、前回すでに銀メダルを獲得しているだけに、その活躍に寄せられる期待は非常に大きい。果たして彼は、この大舞台でどのように戦うつもりなか!? 2度目の日本選手権優勝にまつわる話も含めて聞いていきたい。
(本内容は月刊ボディビルディング2007年2月号「特別インタビュー谷野義弘」から修正引用)
取材:月刊ボディビルディング編集部 撮影:アイアンマン編集部
◆神経が繋がった!
ー 日本選手権優勝までの流れをお聞きしていく前に、今回改めて、左半身に負った怪我(筋肉の麻痺)についての話にも触れさせて頂きたいと思います。ただ、もう何度か大会記事の中でも触れさせて頂いてきた話題なので、根掘り葉掘りお聞きするのは控えます。
谷野 そうですね。
ー それを踏まえて最初に遡るのは、2005年の5月頃に行った『トップビルダーの動向』用のインタビュー時の谷野さんの様子でした。場所は赤羽トレーニングセンターだったと思います。
谷野 そうでしたね。
― そのときのお話は、障害を負った神経がその機能を回復するまで、2年はかかると医師から言われ、その通り2年間諦めずに頑張ってきたのに、思ったほどの回復が見られず、ガックリきているというものでした。確かにそのときの谷野さんはガックリきているように見えました。ところが、小沼敏雄選手らの強い勧めもあって、結局この年からコンテスト復帰を果たしてしまいます。
谷野 完全に回復はしていなかったので出るつもりはなかったのだけど、流れでね、出ることになったんです。
ー ただ、それでも日本クラス別では優勝し、日本選手権でもまずまずの成績を残し、 久しぶりに世界選手権への出場も果たしました。もちろん、だからと言って、その筋量は、怪我の影響を受けなかった脚や腹筋以外、納得できるものではなかったということでしたよね。
谷野 ええ…。
ー それが2006年になって、日本クラス別の2週間ほど前になる7月1日に谷野さんから「左胸が3年振りに筋肉痛になりましたよ。 うれしいなぁ」というメールが入り、完全回復に向けて、やっと良い徴候が見られたことを知らされました。ちなみに、この胸のトレーニングの前日に行った脚のト レーニングによって、感覚がなかった左側の背中が筋肉痛になっていたそうですね。
谷野 たぶんそれは、神経の回復の時期と脚のトレーニングの日がぶつかったということだったのでしょうが、脚をやっている最中に左胸がパーンと張ってくる感覚があったのです。それで翌日に胸をやったら、扱っている重さ自体は怪我をする以前のウォーミングアップの重さなんですけど、ちゃんとベンチプレスを差せてネガティブもかけられたから、ビックリしましたね。
ー 前鋸筋の麻痺が影響して、筋肉で"受ける"感じが掴めなかったと聞いていましたから、この感覚の変化は大きいですよね?
谷野 そう…そうですね。 受けて、押せる感覚が3年振りに…。
ー 気のせいとか、そういうレベルの変化ではなくハッキリした感覚の違いを感じられたのですね。
谷野 そう。
ー そこから日本クラス別まで、トレーニングできるのは1週間くらいだったわけですから、いくら神経が繋がった感覚が得られたとは言っても、大会までに完全に回復させることは明らかに無理なことでした。しかし、 久しぶりに充実感の得られるトレーニングができたのではないですか?
谷野 その通りです。もう嬉しかったですね。 胸は当然、重さは扱えないですけど、物凄い筋肉痛がきました。"これはもしかすると…明日の背中も楽しみだぞ!"と思って、ワクワクしていました。
ー 背中の反応はどうでしたか?
谷野 肩甲骨が動くのが分かるんです。パンプもするんです。それでまた次の日のも楽しみだなあって思って(笑)。結局、リハビリ段階の身体のまんま日本クラス別には出ましたけど、精神的にはね、"これからが楽しみだな"という高揚感はありましたね。で、毎日のトレーニングが楽しくなってくるのはもちろんですけど、それよりも、試合の日にそこそこポージングがとれるようになってきたことが大きかったですね。なんかもう、嬉しくてしょうがなかったです。
◆相川選手に敗北!
ー 日本クラス別では相川浩一選手に敗れることになるわけですが、ポーズダウンの様子などを見る限り、かなりショックだったのではないですか?
谷野 いや、筋肉の感覚が戻ってきた嬉しさがあって、もう順位のことなんてどうでも良くなっていましたね。今まで通り普通に試合に出られることで、どんなに精神的ストレスがなくなったことか…。だから、相川君と戦えることも凄く楽しみでしたよ。試合が始まる前から、「相川君と戦えるの楽しみだよ」と言っていましたし、結果が出てからも、「今日は楽しかったよ!」って言ってましたよ。いや、本当に楽しかったですよ!
ー ただ、神経が繋がった嬉しさが、勝負に対する執着を薄れさせた反面、普段の精神状態なら犯さなかったであろうミスもあったのではないですか? 会場で観戦していた水間詠子選手が、うちの編集部の人間に、それらしいことを言っていたようでしたが…。
谷野 ポージングのミスはありました。見せ方を間違えたんです。
ー まず、立ち位置から間違えていたとか…。
谷野 そう!
ー ウキウキした気分でテンションが上がっちゃってたわけですね。
谷野 そう!
ー その立ち位置についてですが、それは遠近感を利用して、比較の際、他の選手よりも若干前に立つということですよね。
谷野 前寄りに立つと丁度良くなるわけです。けど、会場にもよるんです。たまに江戸川あたり(江戸川区総合文化センターのこと)だと、テープでバッテンの印をつけているところに、ちゃんとライティングが合わせてあって、そこより前に出ると、身体がボケて見えることがあるんで、下から見てもらっている人に、印の所に立っていてOKかどうかの合図を送ってもらっているんですよ。日本クラス別の会場の場合は、前に立ったほうが良かったわけですが、舞い上がり過ぎて、1m近くある舞台幅の中で、他の選手よりも50㎝くらい下がってましたよね。
ー 実際、比較写真の中には、下がり気味であることが分かるものもありました。
谷野 普通だとあり得ないミスですよね。