夜7時のゴールデンタイムに行われていた中継は視聴率30%を超え、昭和48年には三冠王の王貞治を押さえ日本プロスポーツ大賞を受賞。その活躍はアニメ「キックの鬼」としても放送され、国民的人気を誇ったキックボクサー沢村忠さん(本名:白羽秀樹)が3月26日に死去したことが明らかとなった。引退して格闘技界から離れた氏であったが、11年前には子どもたちにキックボクシングの指導を行っていた。貴重な声と子どもたちへのメッセージをお届けする(2010年2月6日、Fight&Life誌の取材)。
文:長谷川亮 撮影:t.SAKUMA
沢村さんが指導を行っていたのは横須賀市で活動するキックボクシングサークル「サクシード」。その年初めて降った雪が残る寒さの中、練習場所である体育館を訪れると、「これでも今日は少ない方なんです。いつもは30人ぐらいいますから」とたくさんの子どもたちと沢村さんが迎えてくれた。トレーニングウェアに身を包み、現役時代と変わらぬスリムな体型、ピンと背筋が伸びている。
「じゃあ、怪我をしないよう。一生懸命にやればカッコよくなって上手くなるからな」整列をして礼をし、沢村さんはそんな風に子どもたちへ声を掛け練習が始まった。
「サクシード」はキックボクシング経験を持つ宮坂勇治代表が2007年8月にスタート。子どもたちに運動できる場を提供したい、体を使って直接コンタクトするような競技を子どもたちに経験してもらいたい――そんな思いから設立された。
沢村さんはサクシードの前身となるキックボクシング教室から指導陣として参加。“どうせだったら日本一の人を連れてきたい”と思った宮坂代表が知人を通じ沢村さんにお願いをしたというが、「月に10回練習して2,000円とか、それぐらいのコストで抑えられるようにやりたいというのがありまして、それで会うなり『お金はないです』という形で沢村先生にお願いしたんです。自分でもよく言ったなと思います(笑)」と講師就任の内実を明かしてくれた。
「でも、先生は『いいよ、一緒にやろう』と言ってくださって。よく来てくれましたよね。あれだけの方が不思議なことです。それで今も完全ボランティアで来てくださっています」
引退後、空手を教えることこそあった沢村さんだが、キックボクシングを教えることはなった。その理由を次のように言う。
「5歳の時からお爺ちゃんに空手を習って、僕は武道家としての生き方を大事にしてきました。キックを始めた時『武道を売り物にするな』とお爺ちゃんから勘当を受けて、現役を続けた10年間、一度も実家へ帰れませんでした。だから、家族は一度も試合を見てません。
引退というのはその世界と決別するということですから、僕は武道、祖父が教えた生き方に従い、引き際というのも大事にしました。
それにキックボクシングの攻撃というのは、危険な凶器と一緒です。10人とか、僕が人間性を把握できる範囲ならいいけど、当時目黒ジムだけでも練習生が600人いましたから、どういう人間か分からないのに凶器を与えるような、そんな無責任なことは僕にはできません」
▶次ページ:昭和のスーパーヒーローが伝え続けた"武の心"