──山崎先生がキックに出始めたのはどういうきっかけなんですか?
山崎 学生の頃、俺は他に行く所がなくてさ、毎日道場に行って、とにかく一日中道場にいるんだよ。プロみたいなもんだな。今、普通のサラリーマンとかだとさ、週に2〜3回ぐらいが精いっぱいだろ、仕事しながらだと。俺はとにかく毎日いるんだよ。空手の稽古が終わったら一階道場の畳で寝ててさ、起きたら地下でウエイトやったり……。それを館長が見てたんだよ。
その当時、キック黎明期でこれからブームになる兆しが出てきてた頃だな。テレ朝がさ「そんなに極真が強いなら沢村(忠)が負けた相手が来るから、それと対戦できる相手を出せないか?」ってオファーがきたらしいんだよ。それで館長が俺と添野(義二)を指名したんだ。勝ったら次から次へと試合が組まれた。俺は最初から1回だけのつもりだったんだけど館長の前だと「押忍」しか言えないし、テレビ局も「出せ、出せ」って言うし出るしかなかった。それからブームになったんだよ。
──佐藤師範、東師範はは職業として空手指導者を選択されましたが、山崎先生は…?
山崎 俺はそもそもサラリーマンになりたかったから。
東 昔からそうおっしゃられてましたね。先輩ほどの実力や実績があるのに空手の道ではなくサラリーマンの道を選択するっていうのは、自分は不思議でならなかったですね。
山崎 まあ、サラリーマンというよりも、一般社会の中でトップを目指したいという目標があったから。その当時はさ、空手っていうのは悪(ワル)のイメージが強かったんだよ。だから俺が空手やるって言ったらお袋に泣かれたもん。「わかった、辞めるから」って誤魔化しながらやってた(笑)。でも一方で、このイメージを変えなくてはいけないっていうことを思ったのも事実なんだよ。だから俺は普通の青年の恰好でもって、ソフトにソフトにと意識してたから。逆に添野はイカつい世界だったな(笑)、添野と並んでたら俺なんか絶対空手やってない感じに見えたらしいよ。今とは隔世の感があるね。
東 自分の頃はやはりブームがあったのは大きいですね。職業としての空手家という選択肢は確かにあった。
山崎 梶原一騎の漫画で大山館長が取り上げられるようになってさらにブームになった。
佐藤 漫画の影響というのは確かに大きいですね。
──山崎先生と佐藤師範は『空手バカ一代』のエピソードの中では主役級の扱いで相当な登場回数だと思いますが……。
東 自分は、3コマだけ(笑)。
──4コマ漫画にも足りない!
東 極真宮城支部を辞めてから、梶原先生が仙台放送かなんかで講演があって来たことがあるんですよ。その打ち上げで飲んでる席で「東も俺が『空手バカ一代』で書いてやったからここまでこれたんだな〜」とか言われたから「先生、冗談じゃないですよ!俺3コマしか描かれてないですよ!」って文句言ったことがある(笑)。
──空手をやろうと入門してくる人の動機は今と昔では違うと思います。今の人は、大山総裁や『空手バカ一代』を知らない若い世代もいるのを最近知ってビックリしました。
東 今、ケンカに強くなりたいって入ってくる子はいないでしょ? 自分たちの世代だとケンカに強くなりたいっていうのが絶対的な動機だったですけど。
山崎 親が子供を連れてくるんだよ。だから親が空手に肯定的なイメージを持っている。ケンカにも負けてほしくないし、強くたくましく育ってほしいという親の願いだよね。
東 先程の先輩の話と被るんですが、自分の親も空手をやってるって知って「お前、いつからヤクザになったんだ?」って言ってましたから。そんな時代でしたよ昔は。今はそうじゃなくて、明るく楽しい空手っていうイメージですかね? 佐藤先輩の所はどうですか?
佐藤 最近はそうだね、もちろん強くなりたいっていう人もいるけど、武道として人間性を磨きたいという人もいるし、昔は確かにケンカに強くなりたいという意識の人がほとんどだったと思うけど、今はいろいろな目的で入ってくる人たちがいるし、空手を稽古しようと思う人たちの裾野はどんどん広がっているように思えるね。
東 時代と共に武道をやる意義も変化していきますからね。競技を追求する人もいるし、生涯武道として取り組む人もいる。我々も教える側としての変化を要求されてくる時代だと思いますね。
山崎 武道をやって良かったか、何を得たかは人それそれだよ。私の場合はタイミング良く『力石徹のモデルになった男』が出版されたので、その本を参考にしてください。
東 今日は先輩方にお集まりいただき、有意義なお話ができました。ありがとうございました。
Terutomo Yamazaki
1947年7月31日、山梨県出身
極真第1回全日本大会優勝
中日スポーツ、東京中日スポーツの
格闘技評論家として活躍
Katsuaki Sato
1946年4月4日、福島県出身。
極真第3、6回全日本大会優勝
極真第1回世界大会優勝
王道空手道佐藤塾宗師
Takashi Azuma
1949年5月22日、宮城県出身
極真第9回全日本大会優勝
国際空道連盟理事長(加盟国数64カ国)
打撃系総合武道大道塾塾長
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