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【追悼】大道塾塾長 東孝の最後の取材記事と本人からのメッセージ

空手を通じて培ったもの 東孝(大道塾塾長)

大道塾塾長 東孝

「空手、道場を通じて培ったもの」と聞かれたなら、私は真っ先に「“理不尽さ”に腐ることなく、努力を維持し続ける心を身に着けたこと」だと思う。今は社会全体が少子化の影響もあり子供に「優しく優しく」と子供を腫れ物に触るようにして育ててるから、子供が困難や障害に突き当たるとすぐに悲鳴を上げて泣き叫び周りに(と言うか親に)訴え逃げ込むのが普通になっている。

従って自分の力でその状況を何とかしようという気迫も習慣も生まれないから、大人になっても障害困難にぶつかったならそれを自分の努力で好転させようという気にはならない。もっぱら親しい周りに不平不満として訴える。しかし、複雑化する現代社会ではみな自分のことで手一杯だったりして、期待した通りのサポートは受けにくい。子供時代のように親に相談しても、一応成長し様々な分野や興味、友人関係の中で生きている子供の問題すべてに応えられる親などいないから、子供時代のようにはいかない。

そんな時“強くなりたい”という人間の原初的な欲求の世界である武道や格闘技の世界に身を置くことは、みなが他人より抜きんでいたいという欲求から生まれてくる、様々な屁理屈や力関係から“理不尽な”問題が次から次と起こってくる。

それをいちいち「納得できない」とか「俺の考えではそうじゃない」「あの判定は何だ!!」などと言っても何の解決にもならない。みな自分(か自分のグループ)のために活動しているのだ。ただ一途に「アイツよりハッキリ強くなってやる」「絶対に黒帯までは辞めないぞ!」と言った“意地”や所謂“根性”で努力を重ねるしかない。そうすれば少しずつでも成果は出るものだし、たとえ武道の世界で成果には繋がらなくても、別な分野に進んでも「何事もやり抜く」とか「嫌なことがあっても逃げないで前向きに生きる力を身につけたり」するものだ。

そして、そういう姿を見ている周りも「あの人は教条的に『俺のやり方が絶対だ!』とならず柔軟性があるが、一本芯が通っているから信頼できる」となり周りに人が集まってくるものだ。

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