──何を教わりに行ったのでしょう。
優一 僕がやっていた頃のシューティングと今のMMAはルールが違うし、自分の中では別競技なんです。教えられることは本当に少ないのですが、第一線から退いた後もレフェリーをやってきたので見てはいました。第三者的な目線で「あの選手はああいうところをこうすれば良くなるんじゃないかな」というのは分かるので、今回息子に教えたことがありました。でもそれは田丸戦では使っていません。それを教えた時に「お前の戦い方でいいし、使うかどうかは任せる」と言いました。自分のスタイルが通じなかったとしても、こういうことができるというものがあれば、人間は頭の中で余裕を持って戦えるんです。息子はプロのチャンピオンだし、実力的にも僕を超えていると思っているので、指導ではなくアドバイスをしました。
修斗 そのアドバイスを受けて、こういう見方もあるんだなと。とにかく自分は何を教わりたいというのではなく、自分の頭では発想できないことを教えてほしかったんです。それを教えてくれるのは父だと思ったので、教えてもらったら自分では出てこないような発想でしたし、何か自分に付け足したいものでした。
──どういうことをアドバイスされたんですか?
優一 これからまた使う場面も出てくると思うので(笑)。田丸戦では1R目は劣勢でしたが、僕がアドバイスしたことがあるので安心して見ていました。
──田丸戦でのフィニッシュは得意のマジカルチョーク(=リアネイキドチョーク)でしたが、お父さんも得意な技だったりしたのでしょうか。
優一 僕がやっていたシューティングはスタンドでの攻防が多く、グラウンドになってバックに付いてまごつくとすぐにブレイクになるのでじっくりとスリーパーを狙うような展開はありませんでした。寝技での打撃が禁止されていたので、打って蹴って投げた流れからの腕十字や膝十字がポピュラーな技でしたね。
──あのマジカルチョークはどうして使うようになったのでしょう。
修斗 僕はレスリングをやっていたこともあってタックルを切ってバックを取るのが得意なんです。バックを取った後にどうすればいいんだ?と思ったときに最初に通っていたMMAのジムでチョークスリーパーを教わりました。それをただ練習でやっていただけなんです(笑)。マジカルチョークとは言ってますが、わかっていても魔法のようにかかってしまうことで周りからそう言われて広まっていっただけで何のタネもない、ただのチョークなんです。
優一 息子がプロになった後、道場で一回スパーをやったことがあるんです。あんなスリーパーは極まるわけないと思って余裕でいたら、極められました(笑)。僕も何で極まるのかがわからず、今でも解明できていません。本人の腕の太さが関係あるのか、妙に痛くてちゃんと喉に入っていないのに息ができなくなるんです。柔道時代もそうですけど、試合でも練習でも僕は一回もスリーパーを極められたことがなかったので、唯一極められたのが息子だったことが悔しかったですね。
──打撃に関しての自信は?
修斗 練習の時は出稽古に来ているキックボクサーとバチバチにできて、いいトレーナーに教わっているのでわりかし手応えは感じています。
優一 性格の違いだと思うのですが、当時のスーパータイガージムにはボクシングトレーナーもいてその方に僕は教わり、パンチが得意だったので、息子とのスタイルの違いを感じますね。
──スーパータイガージムといえば、若かりし時の佐山さんの合宿でのスパルタ指導がYouTubeに上がっていて話題ですよね。
優一 あの時はきつかったですけど、今となればみんな良い思い出ですよ。佐山先生の指導は厳しかったけれど、ただ厳しいだけだったらみんな付いていかないんです。そこに裏付けされた優しさ、指導者と指導を受ける側の信頼関係があった上でのああいう厳しい練習があるんです。佐山先生は生徒たちを強くしたいと思って指導をして、僕らは強くなりたいという想い以外に、自分たちがやっているシューティングを絶対に世の中に広めていくんだ、という強い想いもありました。
──ちなみに昔の厳しかった練習はどういうものがありますか?
優一 今選手たちがやっている練習は正解だと思います。昔はヘマをしたらウサギ跳び10周、練習中に水を飲んだらバテるから水を飲むのは禁止だとか、今のスポーツ界では考えられないことが昔は常識だったんです。脱水状態になりながらもやっていて、真夏日にもう喉がカラカラで耐えられない時は、練習中に「トイレ行ってきます」と行ってトイレに流れている水を飲んでたりしましたから(苦笑)。今息子は32歳ですけど、昔の選手は30を超えると内臓はボロボロになりますし、もう身体はガタガタなんです。ちなみに僕は正式に引退という形はやっていませんが、30歳の時の試合を最後にフェードアウトしました。
──修斗選手は田丸選手に一本勝ちしたことでRIZINバンタム級トーナメント出場、一回戦で朝倉海選手と対戦することが決定しました。
修斗 前回の田丸戦の時も、次の朝倉戦も大一番と言われますが、自分にとって試合は全て一緒なんです。相手が強いからといって練習量を変えるわけではないですし、試合に対するモチベーションや気持ちが変わることはないです。相手が強くても弱くても、自分が勝つためにやるべきことをやっていくだけです。
優一 私としては修斗が後悔なくケガのないようにやってくれたらと思うばかりです。
Shooto Watanabe
1989年2月27日、栃木県出身
身長173㎝、体重61.0kg
Fighting NEXUS初代バンタム級王者
戦績:33戦23勝5敗5分
ストライプル新百合ヶ丘所属
Yuichi Watanabe
1962年11月9日、栃木県足利市出身
身長170㎝、体重90.0kg
修斗初代ウェルター級王者
戦績:9戦6勝3敗
掣圏真陰流興義館館長