自らの“使命”である修斗王座防衛を果たした岡田は来年の引退を明らかにした。そしてバンタム級GPに出場し、RIZINを自身の可能性を使い切る舞台として選んだ。そんな岡田には支えとなる2つの言葉がある。岡田をここまで導いた取り組みとともに聞く。
取材・文:長谷川亮 撮影:中原義史
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3月20日、岡田遼は修斗バンタム級世界王座を防衛。修斗の王者となりベルトを守る〝使命〟を果たした。
「第一志望はずっとUFCだったのでUFCに出たいなっていう気持ちがありました。でもそれがなかなか叶わなくて、ちょうどタイミングよくRIZINからのお話もあって、カッコいい華やかな舞台だなっていうのは思っていたし、自分の可能性を使い切って辞めたいなっていうのがあったので、ご縁があってトーナメントにチャレンジすることを決めました。UFCは残念でしたけど、現状手が届くなら奇跡だなっていう感じではいたので、自分はこういう運命なのかな、これも人生だなって。〝人間万事塞翁が馬〟です」
人の世のよしあし、幸福と不幸は予測がつかず、結果的に何がよくて悪いかはその場では判断がつかない──そんな意を持つ〝人間万事塞翁が馬〟はサッカー少年だった岡田が元日本代表の岡田武史監督を通じて知り好きになった言葉だ。
「やっぱり修斗のタイトルマッチってふさわしいチャレンジャーが出てきてやるから、1年に1回あるかないかなんです。2022年のどこかで引退しようと思っている矢先、5月から始まって大晦日で終わる年内のトーナメントなので、自分の現役生活を使い切るにはすごくいいタイミングと機会なんじゃないかって」
岡田がプロ昇格を決めたのが2012年。プロ10周年となる来年を区切りに現役を退く思いでいる。
「今が一番強いっていう自負はあるんですけど、これは長くは続かない、本当に刹那的なものだと思っています。だからすごくいいタイミングで、順当に勝ち進んでいけば、去年はコロナの影響もあり1試合だけでしたけど、年間で5試合できるじゃないですか。この5試合全部燃え尽きて、来年修斗に帰って防衛戦を引退試合にするのか分からないですけど、それで終われたら自分の格闘技生活もう思い残すことないな、万々歳だなっていうのはあります。最後だし、やってやるって」
岡田にはもう一つ、〝兵力三倍〟という好きな言葉がある。
「歴史が小さい頃から好きで、特に幕末と戦国時代。なぜなら沢山の人が戦いで命を落とすじゃないですか。そういう生きるか死ぬかで戦ってる人たちってすごく人生が劇的だし、そういう時代は魅力的な人が生まれやすい。なのでこの時代が好きです。
そういう中で昔の武将がどうやって勝つために戦術・戦法を考えて、どういう風に戦争の戦略を立てていたのか、みたいなことを調べるのが好きで、結局行き着くところが兵力三倍なんです。相手の三倍の兵力があれば絶対勝つっていう」
MMAにおいては1vs1の戦いだが、その裏にある練習量、練習の質や環境、試行錯誤の蓄積、技術、体力、判断力、試合に懸ける覚悟──そういったものを相手の三倍上回った状態で試合に臨むことを常に岡田は心掛けているという。
「トータルした戦力で相手を三倍上回って試合に臨めば勝つだろうっていう気持ちです。ただキャリアが浅い時は、全然三倍積めていなかったですけど(笑)」
岡田は小中高とサッカーに取り組み、格闘技経験のないまま大学からパラエストラ千葉に入門。そこから全日本アマチュア修斗優勝を経てプロに昇格、世界王者に辿り着いた。
「格闘技経験がないのにここまで来れたのは、それこそ鶴屋(浩)さんやいろんな人に教えてもらったテクニックを必ずメモに残して忘れないようにしていました。結構人によっては何もしない人もいますけど、3ヵ月ぐらいしたらその日に教わったテクニックの細かいところなんか忘れちゃっているんです。けど僕は書いて絶対記憶に残すので、その部分で忘れちゃう、何となくセンスと感覚でやっている人たちよりは1個1個確実に積み重ねてきているので、ここまで来れたのかなとは思います。そのノートがこの10年で5冊ぐらいあります。試合をした時は映像を見返してよかったところ・悪かったところを全部書き記して、次の試合までの課題っていうのは全部書いています。それこそATTに行った時も、練習メニューからコーチに教えてもらったテクニック、どんなことをどれぐらいやったかみたいなのを全部書いて、今もそれをやってます」