今年で54歳になる福島和文選手は1999年以降、22年もの間、全日本パワーリフティング選手権に出場を続けている同大会の現役最多連続出場選手である。奥様は全日本選手権で23度優勝、世界選手権5度優勝の女子47㎏級の女王・福島友佳子選手。二人三脚で継続してきたパワーリフティング。その根底にあったのは逆境をチャンスに変える諦めない力だった。
取材:藤本かずまさ 撮影:北岡一浩 取材協力:パワーハウス
――パワーリフティングを始めたのは、奥様の友佳子選手とどちらが先だったのですか。
福島 試合に出たのは、ともに1991年の兵庫県大会が初めてでした。僕は姫路のスポーツクラブのインストラクターをやっていて、友佳子はそのクラブの会員でした。「一緒に出ましょう」と会員さんたちに声をかけて、出場したのが最初です。
――全日本選手権に初めて出場したのは95年です。
福島 パワーリフティングを始めて3年くらいで標準記録が取れたので、「全日本に出る」という当初の目標はわりと早く達成できました。次の目標はやはり日本一だったんですが、上位の選手との差があまりにも開き過ぎているので、数年くらい前から「ちょっと無理かも」と思うようになってきました(苦笑)。ただ、ケガをしていようが何があっても全日本には出ようと思っています。
――それは意地に近い感覚なのですか。
福島 夫婦で一緒に出続けるという目標があるんです。夫婦で22年連続出場というのは、公式記録ではありませんが、自分たちなりの記録だと思っています。(個人では)伊差川(浩之)さんや浅間(成敏)さんは30回以上、連続出場されています。だから、僕もあと8年は頑張らないと、という気持ちはあります。
――パワーリフティングに専念できる環境を求めて98年に上京されたと聞きました。
福島 そうなんです。姫路でも取り組むことはできたのですが、当時は今と違って(地方には)情報量が少なかった。それで友佳子と一緒にいろんなジムを見て回ったんですが、パワーハウスを見学したとき、ちょうどまだ20歳前後の荒川兄弟(大介&孝行)が練習していたんです。そのときに、荒川大介さんに「福島さんは95年の全日本で3位でしたよね」と言われたんですね。この人は本当にパワーリフティングが好きなんだなと思いました。またジムの雰囲気もすごく良くて、「ここに通おう」と思いました。住むところとジムだけを決めて東京に引っ越してきました。
――練習方法はキャリアを積むにつれて変えてこられたのですか。
福島 20代のころは、スクワットは足腰が立たなくなるくらいまでやっていました。自転車でジムに通っていたんですが、自転車で帰れるくらいならまだ練習が足りないんじゃないかと思っていました。また、吐くまで追い込むために、ラックの横にバケツを置いてスクワットをやったり。そういう姿を見て、友佳子も頑張ろうと思ったみたいです。彼女も泣きながらスクワットをやっていました。20代だったので、そういう練習ができたんです。ケガもあまりしませんでした。40代になってからは、試合前には必ず針治療やマッサージなどに行くようにしています。
――それはきっかけがあったのですか。
福島 2011年に首を痛めて、試合中に力が入らなくなってベンチプレスで失格したことがあったんです。もう、60㎏がぎりぎり挙げられるかどうかという状況でした。そこから、ケガをしてからではなく、痛みを感じたら治療を受けるようにしました。
――現在はどのようなルーティンでやられているのですか。
福島 「スクワット&デッドリフトの日」と「ベンチプレスの日」の週2回です。
――スクワットとデッドリフトを同じ日にやるようになったのは?
福島 10年ほど前からです。練習までの間が3、4日くらいでは回復が追いつかなくなってきたんです。スクワットをすごく頑張った3日後にデッドリフトができなくなってきました。だったら、スクワットとデッドリフトを1日にまとめてやってしまって、その疲れを1週間で回復させるサイクルを組んだほうがいいと思ったんです。この練習量でチャンピオンにはなれないと思いますが、自分なりに長く続けようと思ったら工夫が必要になります。スクワットとデッドリフトを同じ日にやるのは、僕くらいの年齢の方にはおすすめです。
――練習と練習の間隔は、どのくらいですか。
福島 仕事のシフトによって変わってきます。理想は月曜日と木曜日、という感じになるのですが、仕事の都合で月曜日の練習が火曜日に、木曜日の練習が金曜日にずれたりします。
――しだいに「量」の練習から「質」重視の練習にシフトしていった、というのはありますか。
福島 東京に出てきて、チャンピオンクラスの選手たちの練習を身近で見るようになって、ただガムシャラにやるだけではなく、正確にやるということを中心に持ってきたというのはあります。練習でも、軸をぶらさず、精密機械のように毎回同じフォームでやるように心がけています。
――これまで選手生命にかかわるいような大ケガは?
福島 大きなケガはしたことがないんですが、去年はしんどかったです。スクワットとデッドリフトの練習をやったあと、腰に痛みが走ってロッカールームで立てなくなったことがあったんです。でも、身体をまっすぐに立てて軸を保てば、何とか練習はできました。部位によっては痛みがあると何もできなくなりますが、腰はまだ我慢ができるんです(苦笑)。去年の腰もそうだったんですが、筋力のバランスが崩れて痛みを引き起こしている場合があるんです。そういうときは、バランスを是正していけば痛みは治まっていきます。数年前に内転筋を切ったこともありました。9月に内転筋を切ってしまい、最初は全く動けなかったので、動けるようになってからスクワットも60㎏くらいから始めて、翌年6月の全日本選手権に何とか間に合わせました。
――2011年の首のケガもそうですが、お話を伺っていると、福島選手には「諦める」という選択肢がないように思います。
福島 やはり友佳子の存在が大きいと思います。最初は僕が教えるところから始まったんですが、友佳子は50歳になった今でも世界で一番になるには世界で一番練習しないといけないと考えています。そうした姿勢に引っ張られて、自然と僕も続けています。また、一緒にセコンドとして世界大会などに行くと、僕の実力では出会えないような強い選手たちと会話ができたり、試技を見られたりするんです。そうした貴重な体験ができて、僕もどんどんとのめり込んでいきました。
――常にベストコンディションで大会に臨んでいたわけではないので、記録がいいときもあれば、そうではないときもありました。
福島 僕はパワーリフティングをやるために、わざわざ東京に引っ越してきたんです。だから、「今年はちょっとしんどいから全日本は見送ろう」なんて言えないです。また、最大のモチベーションは、友佳子が世界チャンピオンになることです。それにはまず、全日本に出ないといけません。友佳子が世界を目指して頑張っているのに僕が辞めてしまうのは…という気持ちはあります。僕も実際に試合に出ることによって、自分で練習していかないと、セコンドとしての説得力もなくなるし、一緒に世界大会に行くこともできなくなってしまいます。
――今年8月29、30日の兵庫での全日本に向けてはいかがでしょうか。
福島 試合前に(自粛期間で)2ヵ月間も練習できなかったというは初めての経験です。最低限、来年の出場権を得られるよう標準記録はしっかりと取っていきたいです。去年は腰を痛めて、今年は2カ月間も練習できなくて。だから、毎年何かしら、乗り越えなければいけないことが出てくるんです。「練習できなかったから今年はやめよう」ではなく、どうやったらできるかを考える。それが面白いのかもしれません。逆境は自分を強くできるチャンスだと思います。
福島和文(ふくしま・かずふみ)
1966 年9月7日生まれ、大阪市平野区出身。91 年、パワーリフティング兵庫県選手権大会に初出場。95 年に全日本選手権に初めて出場し、100kg 級で3位となる。98 年にパワーリフティングに専念するために上京。99 年以降、現役選手としては最多となる22 年連続での全日本選手権出場を果たしている。
主な成績
2006 全日本パワーリフティング選手権 100kg級2位
2010 全日本パワーリフティングマスターズ選手権 100kg級優勝
2016 全日本パワーリフティング選手権 93kg級2位
自己ベスト(フルギア)
スクワット 297.5kg ベンチプレス 210kg デッドリフト 292.5k