没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。
取材・文:岡部みつる
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THINKフィットネス フィットネスプロダクツ事業部・村上洋之の証言
伝説のボディビルダー北村さんのことは当時雑誌の連載でもよく見ていましたが、ゴールドジムがまだ日本に数店舗しかないときにノース東京で夜間によく顔を合わせて、同じ時間帯にトレーニングを行うことがありました。
何と言っても日本人離れした身体のサイズとパワーは、憧れの存在でありトレーニング時間が同じときには挨拶をさせていただきつつ、1、2個の質問をさせていただいていました。当時はまだまだインターネットの普及も進んでおらず、トレーニングの情報源は雑誌か先輩トレーニーからということがほとんどでした。私は北村さんのトレーニングを横目に見ながら筋肉をつける秘訣は何かをいつも探していました。
伝説のドレミファトレーニングなのか、高重量トレーニングなのか、ひとりでどこまで追い込めるトレーニングができるかということがその秘訣なのかなどいろいろ見てきましたが、一番強く感じたことは自分に対する厳しさと他人に対する優しさでした。
ボディビルダーは大きな身体からよく言えば力強い、安心するという印象がありますが逆にも見られます。乱暴や怖いなどのイメージです。北村さんは、いつでも誰にでも笑顔で優しく話してくれて見た目とは正反対の対応で皆さんを驚かせていました。
その優しさは人にだけではありません。トレーニング中に筋肉を作ってくれる道具としてのダンベルやトレーニング器具に対しても感謝と優しさを持っていました。
ジム内で誰よりも高重量でトレーニングを行っているのに誰よりも丁寧にダンベルや器具を扱うその姿勢。筋肉をつけることはトレーニングの方法の前にそこに向かう気持ちが大切であるということとだと感じました。
私がフィットネスショップの店長のときに、店内イベントで北村さんのセミナーを開催させていただいたことがありました。最寄り駅まで迎えに行くとあの大きな身体でタンクトップ姿の北村さんが降りてきて、驚くとともに周りの人たちの注目度がすごかったことは想像しやすいと思います。
店内イベントには当時では考えられない100名以上のお客様に来場していただき、皆さんが熱心に北村さんの言葉を聞いて、トレーニング動作を真似している姿にはカリスマ性を感じました。このようなイベントではトレーニングや栄養学について講師に質問されることが基本的な会話となります。
しかし、そのときのイベント後に来場された方の中には、以前に北村さんと一緒に撮影した写真をお持ちになり、そのときのエピソードや、どれだけ北村さんに会いたかったのかという思いを伝えるなど自身の近況をお話しされるお客様もいらっしゃいました。
北村さんはトレーニングを行っていない人にとってもカリスマでした。このようにトレーニングや栄養学以外の話をされる方が非常に多く、北村さんの持っている友達のような優しさと包容力があるからこその場面だと感じました。
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執筆者 岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。