没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。
取材・文:岡部みつる
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ジムオーナー・森永経一郎の証言
僕が初めて北村さんを見かけたのは、23~24歳のころに池袋ボディビルセンターに通っているとき、東池袋の地下街でなんだよ。11月の中頃だったと思うんだけど、北村さんは短パンにタンクトップ、サンダルっていう出で立ちで闊歩してたんだ。「あっ! 北村さんだ」って一方的にね。そのときは雑誌で見てたから顔は知ってたけど話し掛けたりする勇気はなかったね。
それからしばらく経って、練馬のレヴァンへ入会したら、そこで北村さんがトレーニングしてたんだ。毎日顔を会わせてたから、たまに同じ部位になると「一緒にやろうか」なんていうこともあったけど、ついていかれないよね! でも、僕なりに「あぁ、あんな風にやらないといけないんだ」って学んだよ。
あるとき、一緒に愛知のジムでセミナーをやることになって練馬の北村さんの家に迎えに行ったんだよ。そしたら、北村さんが「食べなよ、食べなよ」っていろんなものを作ってくれた。ほとんどがささ身なんだけど。僕は「まだ出なくて大丈夫かなぁ」ってちょっと心配になったんだけど、ささ身のチーズ巻きとか出てくるのよ。僕がお腹いっぱいで食べられなくなってくると北村さんが全部食べちゃうんだ。すると急に「じゃ、行こう!」って言って、カマロに乗り込んだら、ものすごい勢いで走り出しちゃって、高速に乗った途端に見えなくなっちゃって、僕は置いてけぼり。2時間くらい遅れて着いたかなぁ。そんなことがあったよ(笑)。
今でも思い出すのは「大会で勝ちたかったら、まずは北村克己に勝て!」って言われたことかな。周りの援助もあってアメリカの大会で優勝することできたけど、北村さんと同じ舞台に出て勝ってないから、僕はまだまだだなぁって思っているんだよ。「一緒に大会出よう!」って誘ってもらったりしたのは、すごく良い思い出だね。今も、ジムに飾ってある写真をいつも拝んでるよ。
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執筆者 岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。