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マッスル北村の戦友「身体をみれば頑張っているのはお互いに理解できた」

没後20年というのに全く色褪せない北村克己の思い出。友人・知人・関係者に語っていただいた言葉から、人間・北村克己像がはっきりと見えてくる。

取材・文:岡部みつる

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パーソナルトレーナー・森信誉司の証言

自分が初めて北村さんを見たのは高校生のとき、北村さんは大学生でしたね。自分は杉並に住んでいて、北村さんは練馬だったので、よく荻窪駅で見かけました。北村さんは荻窪にあったエグザスへ通っていたように記憶しています。

そのころ、お正月は高田馬場のビッグボックスしか開いているジムがなくて、そこで毎年正月になると顔を会わせる間柄でした。北村さんと、自分と、それにプロレスラーのラッシャー木村さんと「いつも正月に会うね」みたいな感じだったんですよ。

自分はそのころパワーリフティングをやってて、高校の全日本チャンピオンでした。ジムは中野ヘルスクラブだったんで、荻窪まで電車で、そこでバスに乗り換えて家に帰る途中に駅で会うことがありました。

自分は中野ヘルスで岩間勧さん、渡辺実さん、長谷川尚子さんなんかとわいわいトレーニングしてましたが、北村さんはエグザスやレヴァンでひとりでやるっていうような哲学を持っていたので、みんなでトレーニングしたことはなかったですね。正月にビッグボックスで補助してもらったことくらいはありましたけれど。あれはねぇ、自分が10代の終わりころだったかなぁ。確か、中野でトレーニングした帰り……いや、友達と飯食った帰りだったかなぁ、冬の夜ですよ。新宿駅、いや荻窪だったかなぁ、夜の駅、プラットホームの向こうから大きな人が歩いて来るんですけど、全身から湯気が立ってるんですよ! コート着てるんだけど、なぜか全身から湯気が立ってるんですね! 近くまで来たら、それが北村さんだって分かって、何だかすごくビックリしました!

ちょうど、北斗の拳に登場するラオウがオーラを放っているような、そんな感じだったんです。トレーニングしてきた帰りか何かだったんでしょうね。あの湯気が立ってる北村さん、今でもものすごく鮮明に浮かんできます。

アメリカで一緒に大会に出たときには「バルク(北村)とプロポーション(森)でボディビルを盛り上げよう!」っていうノリで出たんですよ。でも北村さんが張り切り過ぎちゃって同じ階級まで落とせなくなっちゃって、って感じでしたね。

大会終わりに「来年は自分が階級を上げて出ますから、勝ち負け関係なくまた一緒にやりましょう!」って約束したんですけどね。それに自分たちは結構知り合ってから長かったんで、あまり細かいこと話さなくても、身体を見れば頑張ってるのはお互いに理解できたんで、話し込んだりはしませんでしたね。

北村さんが亡くなり最後の約束を実現できなくなってしまったのは、本当に寂しい限りです。

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執筆者 岡部みつる
東京都出身。昭和の終焉に渡米。’93年、米マスキュラーデベロップメント誌のチーフフォトグラファーに。以後、アイアンマン、マッスルマグ、フレックス等各誌に写真を提供。’96年にはMOCVIDEOを設立、コールマン、カトラー等オリンピア級選手のビデオ、約50本を制作。「オリンピアへの道」は12年続け、「オリンピアへ出るよりもこのビデオに出られてうれしい!」と選手が言うほどに。’08年、会社を売却しワイフと愛犬とともに帰国。静岡県の山中に愛犬とワイフの4人暮らし。


 

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