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今年還暦を迎えた“狂気の男”~俺の素質は努力だけ~視力を失ってまで筋肉を鍛えボディビルで勝利を勝ち取った男の執念(前編)

左目失明までの経緯
ー 話は1999年に遡ることになりますね。
合戸 自分のボディビル人生の中で、後にも先にも、この年ほどよくトレーニングできた年はなかったんだ。
ー その言葉を裏づけるかのように、この年の世界選手権は、ハイレベルな中で70㎏級4位という素晴らしい成績を残されています。 編集部が所有しているお写真がないのが残念ですが、この大会に同行した役員の方が撮影した写真を見る限りでは、恐怖すら感じる仕上がりでした。特に、ダブルバイセップスが凄まじく、お世辞抜きに4位以上でも良いのではないかと思ったほどです。 左目の症状はその前から兆しがあったのですか?
合戸 症状が出だしたのは調整に入ってからだった。 10月頃だね。 左目の視界の中に黒い点がプツッと見えていたんだ。
ー 10月と言うと、日本選手権の頃ですから、調整期間の末期ですね。気にならなかったのですか?
合戸 最初は疲れのせいだろうと軽く考えていたんだ。それで世界選手権のために開催地のスロバキアに向かったんだけど、ホテルに着いた翌日、左目の視界が明らかにおかしくなった。テレビの砂嵐と言えば分かるかな・・・、あんな感じだった。
ー そこまでになるとさすがに危機感を感じますよね。

2005年ミスター日本

合戸 それが、その時点でも疲れのせいだろうと思っていたんだ。 まだ多少は見えていたしね。そして大会に出て、予選が終わったあたりで、全然見えなくなってしまった。それでもその時点では、あまり危機感を感じていなかった。やはり疲れのせいだろうから、時間が経てば見えるようになるだろうと楽観的に考えていたんだ。 痛みもなかったしね。
ー さすがに帰国してからは、病院に行きましたよね。
合戸 行ったよ。ただ、すぐにではなく、少し間があった。すぐに治ると思っていたからね。 疲れ目用の目薬をさしたりしてた(笑)。 だけど1週間経っても治んないので、「これ、もしかしたらヤバいな」と思って、とりあえず最初は藤枝市内の病院に行ったんだけど、より精密に検査できる静岡市内の病院を紹介された。それで診てもらったら、「こりゃヒドい、眼底出血を起こしている」と言われて、そこで初めて深刻な状態だということが分かった。ちなみにそのときの検査で行われたレントゲン撮影では、1時間くらいパシャパシャ撮られて、それが痛くてしょうがなかった。
― 目の症状によるものではなく、レントゲンが痛かったのですね。
合戸 涙がポロポロ出てきてね。麻酔はするんだけど、眼球にレントゲンの機械をピッタりつけるから、1枚1枚撮るときの衝撃が凄いんだよ。
ー そのときは原因などはハッキリしなかったのですよね。
合戸 ただ、そのとき先生がポロッと言っていたのが「高齢者がよくなる症状だな」というものだった。僕が撮ってもらったレントゲンというのは、目の場合は普通、真っ白に写るものなんだけど、僕の場合は真っ黒だったからね。あれは出血した状態が写っていたからなんだ。
ー 結局原因は何だったのですか?
合戸  (眼球内の血管内の)血液が固まっていたことによって生じたらしい。ドロドロ血というやつかな・・・。 水分をあまりとらなかったことも大きかったのかもしれない。
(後編に続く)

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