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【筋肉超人伝説】妻の言葉が“伝説”須江正尋を復活させた、その当時の秘話(後編)

◆やり残した事を完遂させたい
ー  さて、昨年の大会の話を聞きたいんだけど、まずは終わってみての感想から聞かせて?
須江 まず始めに、大会出場は今回限りという事を心に決めていました。しかし、出場してみて、何か物足りない、やり残した事があるのに気づきました。それに、何も大会出場するのをやめる必要もありませんし。
ー  目標なんかはどこに置いたのかな?
須江 順位的なこだわりはありませんでしたが、一応イメージトレーニングとして、表彰台の中央に立つことしか頭の中にはありませんでした。
ー  前回出場した1995年のミスター日本のときと比べるとほとんど顔触れが違っていると思うけど、やはり意識した?
須江 それは意識しましたよ。良い選手が多いですからね。1995年のミスター日本で一緒だったのは谷野さん、廣田さん、新井さんの3人だけです。今回の大会出場を決めてからは、大会の掲載されてい る月ボを購入して、一応戦うであろう相手の情報を得ようとしていました。その身体のすばらしさに奮い立ったり、あるいはへこんだりしていましたね。
ー  優勝者の田代選手はどう感じた?
須江 すばらしい選手だと思います。今回は彼と一度も比較を受けませんでしたから、次回は比較されるようになって出たいと思います。それが、今回やり残した事の一つですね。
ー  自分の結果については、どう受け止めている?
須江 大会で戦っていくうちに、今回はそれほど上位には入れないなということは、薄々感じていました。それにいくら自分に下地があったとしても、1年半程度しかトレーニングしてこなかった者にトップを取られるようでは、今の日本ボディビル界の底が知れてしまいます。今後は、何とかして彼らと同じレベルまで自分を上げていきたいという気持ちはあります。

2006年男子日本ボディビル選手権 フリーポーズでの須江正尋選手

ー  会場の反応などは感じ取れた?
須江 全く分かりませんでした。実は職場からも応援が来ていて、2階の最前列にいる事は分かっていましたが、その前に自分のために作ってくれた横断幕には全然気が付きませんでした。それだけ気持ちが舞い上がっていましたし、地に足がついていなかったのでしょう。フリーポーズも何か無意識のうちに取っていたようで、取り終えてからもうまく取れていたのか実感がありませんでした。
ー  プレジャッジでは、ラインナップ中に舞台の袖へ引っ込んだりしていたけど、あれはどうしたの?
須江 ふくらはぎが攣って、ストレッチをしていました。今回は大会前日にカロリーと水分を押さえ、当日の朝はほとんど食事を取りませんでした。これは、食事を取ることで、身体がふっくらしてしまうのではないかと恐かったからです。ですから、プレジャッジでは力が入らず、満足の行く状態ではありませんでしたね。
ー  ポージングの練習をする時間はあったのかな?
須江 規定ポーズは自分で行いましたが、フリーポーズに関してはほとんどやっていません。以前は、宮畑会長がつきっきりで指導してくれましたので、それを思い出しながらやる程度です。最後の1日だけ宮畑会長に見てもらい、曲に合わせての練習も1、2回やっただけです。ポージングの練習が、それまで行ってきたどんなトレーニングより一番きつかったですね。ぶっ倒れるかと思いましたよ。
ー  以前の自分と比べ今回はどれくらいだったと思う?
須江 数字で表すのは難しいですが、1年半という限られた中で自分がやるべきことはほとんどできたと感じています。しかし、やはりもう少し時間がほしかったですね。最終調整やステージ上での振る舞い方、特に精神的に落ち着きがなかった事は反省点です。
ー  それじゃあ、今回の大会に向けて苦労した点はある?
須江 特にありません。今回は職場でも、家でも、ジムでも、本当にみんながバックアップしてくれましたので。本来10月は職場が忙しい時期でもありましたが、早くあがってトレーニングしろ、などと上司が便宜を図ってくれたり、妻もこちらの指定した食材を使っておいしいものを作ってくれましたし。いろいろな面でサポートしていただき、非常にやりやすかったです。
ー  奥さんはトレーニングには素人だと言ってたけど、今回大会を見て何か言っていた?
須江 ……、大会が終わってから一言「今度は優勝しなきゃね」と。皆さん大会に出るためには、いろいろな人に支えられていると思いますが、私は今回それを強く感じましたし、妻もそういう自分の状況をそばで見てきましたので、 それに応えるためにも「優勝しなきゃね」と言ったのだと思います。自分の結果については、妻も何もありません。そういった周囲の応援、期待に応えるためにも、今後も大会に出場しても良いのではないかと思いましたし、もし今後出場しないとなると、自分を応援してくれる人達を裏切るのではないかとも思いました。

2006年男子日本ボディビル選手権 写真右側が須江正尋選手、左側は合戸孝二選手

ー  来年以降も須江君の勇姿がステー ジ上で見れるんだね。
須江 先程も言いましたが、今年の3月に異動がありそうなので、異動する職場によってはまた忙しくなるかも知れません。大会に出場するとなると多くの制約がありますから、いつ出場するとはここでは言えませんが、出場を今回限りにしようと思っていた事は、撤回します。
さらに進化した身体を見せてくれる事を期待しているよ。
1988年、89年の全日本学生ボディビル選手権を2連覇し、鳴り物入りで社会人にデビューしたのは1991年であった。その年須江は、東京クラス別75㎏級2位、ジャパンオープン3位、ミスター関東2位、ミスター東京2位、ミスターアジアライト級6位、ミスター日本11位と意欲的にコンテストに 出場し、華々しい戦歴を記した。しかし、翌年は大会出場を控え、1993年の選抜大会 (現日本クラス別ボディビル)のライト級で優勝を飾るものの、同年ミスター日本7位、世界大会ライト級予選落ち、1994年はまた大会には出場せずに、1995年のミスター日本、世界大会と年を追う事に出場回数が減って行き、この年を最後に彼のボディビルキャリアはいったん終止符を打った。
実質の彼が社会人として戦った年数は3年間であり、国内のコンテストは8つしか出場していない。しかし、彼が我々に残したインパクト、存在感は、その戦歴の数倍以上のものであった。それは、日本人には特ち得ないほどの広背筋の広がりと、何よりも観客を引き込む独創的なフリーポーズが、年が過ぎ去っても我々の脳裏にくっきりと記憶されているからなのであろう。
とりあえず伝説は復活を遂げ、そして終止符は打たれなかった。

須江正尋(スエ・マサヒロ)1967年2月27日生まれ 埼玉県出身

〈大会成績〉
1988・1989年全日本学生ボディビル選手権優勝、1993年選抜70㎏級優勝、2006年日本クラス別選手権75㎏級優勝、2008・2009年日本選手権2位

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