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最年少ミスター東京、相澤隼人が語った‶筋肉を成長させ続けることができる理由″

2019年8月25日、東京ボディビル選手権大会で19 歳・相澤隼人選手が史上最年少でミスター東京の称号を獲得した。そのインパクトはすさまじく、会場で観戦していたボディビル世界王者の鈴木雅選手は「久しぶりに興奮した」と、自身のSNS に投稿するほどだった。相澤選手はどのようにしてボディビル道を歩んできたのか。成長を続けられる理由を二人に聞いた。(IRONMAN2019年10月号掲載)

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取材・文:鈴木彩乃

大会3週間前に感じた大きなプレッシャー

鈴木 東京選手権、優勝おめでとうございます。
相澤 ありがとうございます。とてもうれしいのですが、実感が湧かなくて。ジムでもたくさん声をかけていただくのですが、何というか普段と同じ感じなんです。
鈴木 そうは言っても、優勝するつもりで臨んでいたんですよね?
相澤 はい。去年の学生選手権が終わったその日から、東京選手権に向けて自分なりにスタートしていましたし、10代で獲るというのも一つの目標でした。
鈴木 「獲りにいく」というのがあったのであればなおさら、もう少し感情を出してもよかったのかな、と個人的には思いますね。
相澤 あああああ……。はい、いろいろな方々に言われました。
鈴木 淡々としているのは落ち着いて見えていい部分でもあるのですが、まだそういう時期でもないのかな、と。かくいう私も同じ感じだったので、昔はよく「やる気あるの?」と怒られましたから、相澤選手の気持ちも分かるような気がするんですけど……けっこう、大事なことかと思います。
相澤 自分としては「獲るぞ」という感情を入場とフリーポーズのマスキュラーに込めたつもりでしたが、足りなかったみたいです(苦笑)。鈴木 その落ち着きも相澤選手の魅力ですけどね。社会人大会は14歳以来……?
相澤 あ、その前に13歳で出場しているので3戦目です。
鈴木 そうでしたか! もともとは柔道をやっていたんですよね?
相澤 はい。でもトレーニングは柔道関係なしに、双子の兄の影響を受けて始めました。頑張ったら頑張った分だけ結果が目に見えて分かるというのが楽しくて、純粋にトレーニングを続ける中で、中2の夏に興味本位で出場したのが始まりです。で、翌年も出て、高校生になってからは高校選手権、昨年は学生選手権だったので14歳以来の出場でした。
鈴木 東京選手権に出場すると聞いてから、大方が相澤選手を優勝候補として見ていました。プレッシャーはありましたか?
相澤 ありました。大会の3週間前くらいからどうして自分はボディビルをしているのかが分からなくなってしまい、少し迷走しました。
鈴木 純粋にボディビルを楽しみたい自分と、周囲の期待にも応えたい自分。狭間で揺れ動きながら葛藤するのは、私も毎回のように経験してきましたが……まあ、慣れると思います。
相澤 慣れ、なんですね(笑)。
鈴木 悩んで、悩んで、悩んだらパッと開き直れる瞬間がくるんですよ。一度乗り越えて開き直れたら、あとはもう大丈夫。それに、挑戦者ほどラクなものはありませんからね。そういえばフリーポーズの選曲、よかったですね。
相澤 「クリード」を選んだのには意味があるんですよ。獲るつもりで出場していたので、何か思い出に残るものにしたいと考えて、鈴木さんも過去に使っているスタローン映画から選ぼうと探していたら「チャンプを継ぐ男」というのが目に飛び込んできた。実際にポーズを取ってみたら面白いくらいハマったので、もうコレだと。

家族の支えが成長へとつながった

鈴木 今回、史上最年少記録を更新したわけですが、19歳で社会人大会で優勝するとは信じられないスピードで成長しているということですよね。しかも、その成長が13歳から途切れず続いている。今年は、特に重量感が増しましたよね。全体的なバルクアップと背面。お尻周り、ハムストリングも素晴らしかったけど、やはり背中が変わりました。
相澤 背中はインパクトを強化したくてアウトラインを意識したメニューを組んでいました。
鈴木 成長が途切れない理由として、ボディビルが自然に存在する家庭で育っているというのが大きいのでは?と感じています。
相澤 確かにそうですね。家庭環境は大きいと思います。うちの家族は自分がやりたいと言ったことは、否定せずに何でもやらせてくれました。13歳で大会に出たいと言ったときもそうでしたし、今もずっと応援してくれています。
鈴木 情報の取捨選択にも長けていますよね。私は、筋肉にはその人のものの考え方が現れると思っているんです。トレーニングだけで考えたら、私と同じメニューをしている人なんてそこら中にいます。だけど、仕上がりはそれぞれ違う。もちろん追い込み方の違いもありますが、本質的な部分で生活環境だったり食事だったりに映し出される、その人自身のものの考え方が違うからなんですよ。
相澤 中学生のときに兄が出ていた学生選手権を見に行ったら鈴木さんがゲストでいらして、その存在を知り衝撃を受けたんです。人はこんな体になれるのか! と。そう簡単にはなれないだろうけど、なれるものならなりたい! と思って、それから鈴木さんのメニューを参考にさせていただいている一人なので(笑)、よく分かります。

日体大バーベルクラブ、岡田隆先生との出会い

鈴木 それにしても自分が19歳だったころを思い返すと……もっと毎日ダラダラと、その場限りの楽しさばかりを求めて過ごしていたように思うんです(苦笑)。
相澤 大学に入って大きく意識が変わりました。キッカケは、日体大バーベルクラブの顧問である岡田隆先生。入学してすぐのタイミングでいただいた「時間は有限」という言葉が、すごく響いたんです。無駄な時間をいかにしてなくすか。どう過ごせば無駄ではなくなるのか。常に、考えて行動するようになりました。
鈴木 ここにも成長の要因がありますよね。心に響くというのは、自分に合っているということだと思うんです。
相澤 はい。自分にとって必要な変化だったのだと思います。高校生のときは、体作りに関する知識がまだまだ少ない上に妄信的でした。トレーニングをやればやるだけデカくなると思っていたから、1日でノートの左上から右下まで埋まるくらい、ひたすら同じ部位を鍛えてたりしました。減量に関しては、当時流行りのケトジェニックを何となく試して、必死に育てた筋肉も落としまくっていました。その時間が無駄だったのかと言えば、それは違いますけど、非効率なことに間違いはないですよね。その後に鈴木さんの存在を知り、手法を真似したり少しずつ変えていたのですが、高校最後の年、世界ジュニアを終えて2〜3週間ずっと食欲が暴走して、あっという間に15㎏増えてしまったんです。ですが「オフだからいいか」と特に減らさずにいたら、いざ大学に入り学生選手権に向けて調整をし始めてからのコンディションに納得がいかなかったんです。
鈴木 学生選手権に向けた過程は私も覚えています。1年を棒に振った、とは思いませんが、経験をして学んだことがあったのでは。
相澤 たくさんありました。それがあったからこそ、東京に向けて自分を変えないと獲れるものも獲れなくなってしまうな、と。そこで時間の使い方をそれまで以上に意識するのと同時に、食事を変えました。それから大会後1〜2ヵ月は筋肥大のチャンスと言われているので、ずっと詰めてトレーニングをしていましたね。
鈴木 こうして話をしていると改めて自分はまだまだボディビル初心者だな、と思わされます。いや、本気ですよ。おそらく相澤選手のほうが深く考えていると思いますし、成熟度が高いです。私との違いがあるとしたら年数による経験値だけ。場数、失敗、敗北。でも、それはこれから積み重ねていくことができますからね。

筋量を落とさずに絞るためには?

相澤 過去に93kgくらいまで増やしていた時期がありましたよね。
鈴木 東京を獲った時期ですね。73kgまで絞って優勝しましたが当時は情報量も少なかったですし、考えなしにやっていましたからかなり削げていました。それでも、初めて自分で「絞れた」という実感が得られて嬉しかったのと同時に、自分の底が見えたのであとはそこから上げていくだけ、と思ったのを覚えています。
相澤 そこからの日本選手権は。
鈴木 大きさの違いを実感しましたね。ひと回り、ふた回り違うなと肌で感じました。そして、ここまで体を変えるのに5年くらいはかかるだろうと。
相澤 それが5年計画ですね。
鈴木 そこから、筋量をいかに減らさないように絞っていくかに重点をおきました。要するに、絞りが甘くてもそこで無理をしない。
相澤 ちょうど5年目で日本選手権を獲ったんですよね。
鈴木 もちろん獲ろうと思って絞っていましたが、獲れるとは思っていませんでした。
相澤 減量中も摂取カロリーを落とさなかったと聞きました。
鈴木 5500キロカロリーくらい摂っていました。今も同じくらいです。
相澤 2010年も、ですか?
鈴木 はい。筋量を落とさずに絞るには何をするのかというと、自分の状態を見極めること。落ちなくなったら摂取カロリーを増やすという方法をとるわけだけど、増やすタイミングは人によって違いますよね。5年間で、自分のタイミングが見えるようになっていったんです。その先も実験を繰り返して、板についてきたのが2014年かな。なので、15〜16年はすごく調子がよかったですね。
相澤 5500キロカロリーで絞るということは、オフはそれ以上食べるということですよね? 自分は4000キロカロリーを越えると余剰を感じ始めて4500キロカロリーを越えると脂肪だけが乗っていくような感じがするんです。去年は4000キロカロリー以下で抑えて、今年は3300キロカロリーから始めましたが、大会を前にしてどうしても落とさないといけない状況になって2700キロカロリーまで落としました。
鈴木 それは、仕方がない部分かもしれません。ただ、代謝って面白くてオフのときであっても一律4000キロカロリー以下を続けていくと、体が慣れてくるんですよね。なので、ちょっとずつ上げていく。3800キロカロリーで維持したら……。
相澤 4000キロカロリーにしてみる。
鈴木 そうそう。
相澤 代謝を高く保つために、何かできることはありますか?
鈴木 体質……だと思います。ただ太りにくいというのは、それなりに悩みもあるものですよ。風邪を引いたりすると一気に筋量が減りますからね。
相澤 自分は風邪を引いてもそういったダメージはありません。
鈴木 そうでしょう? どのような体質も良し悪しはありますね。

ボディビルダー・相澤隼人の未来像

鈴木 次は日本クラス別と日本選手権ですね。特に日本クラス別70㎏級は、非常に面白い戦いになるでしょうね。この結果は日本選手権、ひいては今後の自分の成長を占うことにもなりますよ。合戸選手、田代選手、須江選手、加藤選手、松尾選手。その中でどの位置に入っていくのか。トップ選手と並ぶのは初めてですよね? 現時点で自分に何が足りないのか。絶対的な指標を手に入れることができるはずです。
相澤 そこまで考えが及んでいなかったです。トップ選手と並べたら、それでいいという気持ちだけでした。でも、確かに肩を並べたときに、どこまで通用する体なのかが明確になるわけですよね。
鈴木 絶対的に足りないところと自分の武器になるところ、両方が見えてくると思います。ところで、日本選手権における目標は定めていますか?
相澤 ……決勝、進出。
鈴木 控えめですね(笑)。東京を獲っているわけですから、入賞は最低限の条件でしょうか。その後の未来像はありますか?
相澤 20代前半はまだ伸びるだろう、という感覚が自分の中にあるので、体を大きくすることを優先したいです。なので、シーズンをできるだけ短くしたいと思っているのと、世界ジュニアにもう一度、挑戦したいです。そして何より日本選手権。今は世界選手権よりも日本選手権のほうに強く惹かれています。ボディビル―はオーバーオールで並んでどう見えるのか、というのがすごく面白いところだと思っているので、上位に食い込みたいという思いもありますし、トップクラスのステージに立つことで自分の体がどのように成長していくのか、というのにも興味があります。
鈴木 私としては、世界にも同じくらいの興味をもって目を向けてほしいです。純粋に日本は狭いですからね。世界の舞台でさまざまな人や文化、環境、そしてボディビルに触れることで自分に還元されることがたくさんあります。
相澤 確かに、世界ジュニアで得たものはものは濃かったです。
鈴木 勝っては泣いて、負けても泣いて……感情の爆発具合、一つとってもすごいんですよ。そういった人たちと肩を並べてステージに立つと、自分の中の世界も広がりますしね。感情表現のヒントにもなると思いますし、プラスになることばかりですよ。と、いろいろ言ってきましたが、まだ19歳。若いので、ケガだけはしないように気をつけてくださいね。急ぐ必要はないし、焦ることもない。ただ、視野は常に広く持っていてほしいなと思います。それだけです。
相澤 今が全てではない、というのは常に言い聞かせています。通過点に過ぎない、と。
鈴木 そうですよね。東京を獲った今、ここがスタートと言ってもいいかもしれません。

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相澤隼人 (あいざわ・はやと)
1999 年10 月21 日生まれ神奈川県出身
164cm 70kg( オフ80kg)


鈴木彩乃
フリーライター&エディター。書籍制作を中心に、ウェルネス系メディアでの執筆、編集活動を展開中。好きな筋肉は、前鋸筋。

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