「風邪を引いたんだけど、薬に禁止物質が入っていないか心配……」そんな時、相談に乗ってくれるのがスポーツファーマシスト。「ファーマシスト」とは、英語で薬剤師を指す。スポーツファーマシストは、最新のアンチ・ドーピング規則に関する情報・知識を持ち、 アスリートを含めたスポーツ愛好家に対して、薬の正しい使い方の指導などを行う専門家で、JADA(日本アンチ・ドーピング機構)が定める所定の課程を修めている。今回はスポーツファーマシストであり現役のパワーリフティング選手としても活躍する奥谷元哉氏に、競技者が違反を起こさないようにするために理解しておくべき原則を教えていただいた。自身の服用する医薬品、及び摂取方法が禁止リストに該当するかどうかを調べることができる、ウェブサイトや連絡先についても紹介する。
文::奥谷元哉
はじめに
私は調剤薬局で薬剤師として働いていた時にスポーツファーマシストの資格を取得し、パワーリフティング競技に選手として出場する傍ら、アンチ・ドーピング関係の質問に関しても個別に答えてきました。医療の現場で働いていたこともあり、私の考え方のスタンスはアンチ・ドーピングのルールが適用される競技の選手であっても「可能な限り医薬品を使用する」です。
医薬品は健康食品とは異なり、疾病を緩和させたり、治療する高い効果があります。人によっては医薬品の助け無しでは健康な日常生活を送ることさえままなりません。適切な知識がなく、真面目な方であればドーピングと聞いただけでその医薬品の摂取をやめてしまうこともあります。我々専門家が適切にアドバイスすることにより、これまでの生活を維持しながら、アンチ・ドーピングのルールを適用する競技にも出場することができれば最良であると考えています。
アイアンマンの読者の関心はどのサプリメントが試合で使える?使えない?が大部分をしめると思われますが、今回はそのような話ではなく、アンチ・ドーピングの根本に関わる内容です。
アンチ・ドーピングのルールは組織ぐるみ、国家ぐるみのドーピング違反者を摘発するために年々アップデートされるため、2016年現在では非常に難解かつ複雑なルールとなっています。そのような超S級の違反者を絡め取るための網に、我々一般の競技者が引っかからないようにするためには本質の理解が必要不可欠です。長くなりますがお付き合いいただければと存じます。
違反の調べ方と2015年度の違反結果について
まずはドーピング違反の内容をどこで調べるかについてですが、これはJADA(公益財団法人日本アンチ・ドーピング機構)のウェブサイトの、規律パネル決定報告というページに掲載されています。
2015年度の違反は8件で、競技別に見るとボディビルが4件でパワーリフティングが2件、ソフトボールが1件、陸上競技が1件です。
禁止物質の内訳は蛋白同化薬(S1) が3件、興奮薬(S6)が5件です。また、日本で初となる居場所情報を提出しなかったことによる違反事例も出ています。禁止物質の数が人数に比べて多いのは同じ人で興奮薬が2種類検出されたからです。
資格停止期間が短縮される例についての誤解
私が選手として参加しているパワーリフティングでは2015年に、非常に著名で実績の高い選手が蛋白同化薬で陽性が出たため、規律パネルが出た直後、その内容を読んだ方を中心にサプリメントが原因であると取れる論調がSNSを中心に広まりました。
最初に書いた方々はそこまで断定的に書いたわけではないのですが、人から人へ伝わる時に内容の解釈に間違いが含まれるようになりました。私はこの誤解が大きくなる前に自身のブログ上でJADAの規律パネルの文言に基づき、サプリメント原因説を強く否定しました。閲覧数が多かったことからトレーニングに関わる多くの方が見てくださったのでしょう。その後、誤解は終息を見せました。
さて、皆さんがなぜこのような誤解をしてしまうのかについてですが、それはニュースや人づての情報で「入っているとは知らずに取ってしまった」という申し開きをした競技選手の資格停止期間が短くなったことを「なんとなく」知っているからです。
実際に選手の意図ではなく、過誤であったことが認定されて資格停止期間が短くなった事例はあります。ただし、それは「検出された物質」によります。平成19年から平成27年までの規律パネルの一覧がJADA に掲載されていますが、例えば蛋白同化薬が検出された選手については全て満期で資格停止されています(平成26年までは1回目の違反で最長2年間、平成27年以降は4年間です)。
逆に、β2作動薬は蛋白同化作用を有していますが、気管支を広げて呼吸を楽にする作用(一般の読者向けに薬の作用と効果を簡略化して表現しています)があるため医師の処方箋で出ることがあります。β2作動薬に該当するテルブタリンやツロブテロール等が検出された違反例では満期ではなく数カ月の資格停止期間になっています。
医師の処方箋で出る医薬品であれば、診察記録及び処方記録からそれらを服用する妥当性がありますので、競技者の「過誤」を認定できるため資格停止期間の短縮が行われます。また、OTC(処方箋無しで購入できる医薬品)についても販売記録などから使用の妥当性が評価されれば「過誤」が認定され、資格停止期間の短縮が行われた例もあります。蛋白同化薬についても治療目的で使われるだろうと反論される方はいらっしゃるかもしれませんがそれはただのへ理屈です。蛋白同化薬を処方される疾患は非常に特殊ですし、使わないといけない選手がいたとしたらTUE(治療使用特例)申請されています。
そんな特殊な疾患の治療に使われる蛋白同化薬が日常生活をしていて、うっかりと体内に入るなんてことはありえないのです。「意図的」に体内に入れないと検出されない蛋白同化薬について「過誤」は認定されませんので資格停止期間は当然、短縮されていません。
JADAが資格停止期間の短縮を行わなかったという結果すなわち、競技者の意図的な摂取という事実を皆さんが正しく認識しないといけません。ただ、専門知識が無いと違反者の申し開きの内容の妥当性について理解するのが難しいです。そのため、専門知識が無い方のむやみな情報発信は控えていただきたいです。(次週に続く)
著者:奥谷元哉(おくたに・もとや)
1980年生まれ。スポーツファーマシストとしての顔も持ちながら、現役のパワーリフターでもある。2007年に競技デビューし、わずか3戦目で世界選手権出場を果たし8位入賞。4試合目で全日本選手権75㎏級で優勝し、過去最短で日本トップに駆け上がった選手として知られている。株式会社ONI 代表取締役社長。主な戦績:2009年全日本パワーリフティング選手権大会75kg級大会優勝/2011年全日本パワーリフティング選手権大会74kg級優勝/2011日本ベンチプレス選手権大会74kg級3位/2011年世界パワーリフティング選手権大会ベンチプレス種目別74kg級2位/2012年アジアパワーリフティング選手権大会ベンチプレス種目別74kg級1位/2014日本ベンチプレス選手権大会74kg級3位/2015年全日本ベンチプレス選手権大会74kg級3位/2017年全日本パワーリフティング選手権大会74kg級3位/2018年全日本ベンチプレス選手権大会74kg級3位